2014年11月27日木曜日

2014 劇団通信12月号

昭和の全盛期から平成にかけて大活躍した俳優の森繁久彌さんの有名な話があります。

ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」の九州公演の時、開演したばかりなのに客席の最前列にいた少女が頭を垂れて居眠りをしている。演じている森繁さんや出演者にとっては気になるし面白くない。

起こせ、起こせ、とその少女のそばで演技する時はわざと床を音高く踏み鳴らしたりした。けれどついに目を覚まさなかった。そしてカーテンコールになって幕が上がった時少女は初めて顔を上げた。両目が閉じられていた。

居眠りと見えたのは、盲目の人が全神経を集中し芝居を心眼に映そうとする姿であった ! 
それを知った森繁さんは自分の心ない仕打ちを恥じ、なぜあんなバカなことをしてしまったのかと舞台の上で泣いたということです。
このようなシチュエーションに出くわすことは私たちの劇団でもあることです。客席の最前列というのは舞台の上から一番目に付くところで、お客様の反応も手に取るように分かる位置なのです。

目の前で寝ていられるのはとても気になりますが、物を食べたりヒソヒソと話したりされると言語道断、怒りも混じって演技に集中できなくなることもあります。

又「子どもミュージカル」の公演で時々見かけるのは、親しい友達が来て最前列で指差して笑ったりしている劇団の子ども達です。観劇マナーが徹底していないもどかしさを感じますが、劇団員は最前列で観ないようにと指導するしか方法がないのは残念なことです。

すべてマナーの基本は相手の立場に立って考えるということで、特に観劇マナーが悪い子は舞台に立つ資格がないと言わなければなりません。






2014 劇団通信11月号

子ども達よ、学生たちよ。親に感謝したことがあるか。
両親の愛によってこの世に生を受けここまで育って来たことに感謝したことがあるか。

今の君たちがあるのはどんな時にも我が子のためを思って精一杯の愛情を込めて育ててくれた親がいたからだということを忘れてはならない。

自分で勝手に大きくなったと思うな。親の言うことを聞かず、いちいち反発して一人前に反抗期があって当然だなんて思うな。親のありがたさが分からなければ、どんなに学校の成績が良くても人間として失格だ。勉強、勉強だけで大切な時間を潰すな ! 親の手伝いを積極的にやれ。部屋の掃除もやれ。食事の後片付けを手伝え。玄関先で脱ぎっぱなしになっている靴があれば揃えることぐらい出来るだろう。トイレの掃除もやってみたらどうだ。人が嫌がってやらないようなことを率先してやるのだ。人間として最低限のことをやらないで社会に出て何ができる ?  学生時代はあらゆることを学び、訓練し、自らを高めるためにあるのだ。

楽をするな。辛いことと楽なことがあれば敢えて辛いことを選べる人間になれ。訓練期間は徹底して自らを鍛え向上させるためにあるからだ。若いうちは学べ、あらゆることを体験し向上するために苦労するのだ。

挫折も味わえ。少々のことでくたばるな。全ては自らを高めるための試練の場なのだ。だからと言って悲惨になってはいけない。困難に戯れればいい。

決して暗くなるな。明るく生きるのだ。笑顔で人に接し、嫌なことがあっても許せる心の大きさを養うのだ。欠点を見ないで美点を認め誉め称えるのだ。
君たちの未来は明るく輝くものになるだろう。







2014年10月3日金曜日

2014 劇団通信10月号

善人とは ? と時々考えます。
もちろん善人に対して悪人という言葉があるように、悪人でない人が善人でしょう。しかし人間を簡単に両者で区別して、判断することなどできるものではありません。良い行いが善で、悪い行為が悪、というのは誰でも知っていることですが、その基準も曖昧で、良い行いとそうでない行いも見方によって大きく異なります。

必要悪という言葉があるように、善を実行するためには、ある程度の悪と見えることも見逃さなければならない場合もあります。法を侵すことは良くありませんが、法がネックになって人の命を救えなかったとすれば、善悪の判断も変わってきます。
 
一般に善人と言われるような人は正義感が強く、正直で真面目、曲がったことが嫌い、人に対して文句を言ったり怒ったりしないでいつも優しく微笑んでいる。例え頭にくることがあっても、表に出さないで心の中に収めてしまう(癌になりそう ! )。そんな人が本当にいるの ?  あり得ない ! と思ってしまいます。

誰でも自分に対して良いことをした人は善人だと思い、逆の言動があれば悪人呼ばわりしかねません。完全無欠な人って存在しないように、善も悪も入り交じっているのが世の中です。だからこそ、他人の言動に惑わされない強い信念を持って、生きていかなければなりません。

長い間悪いことばかりやってきた人が、更正して少しでも良い行いをすれば凄いことをしたように誉め称えられ、普段多くの人達から尊敬され社会的にも大きく貢献しているような人が、取るに足らないスピード違反的なミスや、軽い法に触れるようなことをしたとすれば、立ち所に糾弾され過去の人生まで否定される。そんなおかしな社会の中で私たちは生きています。





2014年9月9日火曜日

2014 劇団通信9月号

子どもミュージカルをやっていると子どもたちの才能や可能性をどのようにして引き伸ばし、将来に繋げられるように指導していくか常に思い悩むところでもあります。

ひとえに才能を伸ばすと言っても千差万別、褒めることによってやる気が出てくる子もいれば厳しくダメ出しをしないと納得してくれない子もいます。又、ダメ出しをすると自信をなくして消沈してしまう子や、逆に全くダメ出しをしなかったら見放されたと思って悩む子、叱られたこともない家庭で育ったような子もいて一筋縄ではいかないもどかしさの中で四苦八苦することが多々あります。

最近特に感じるのは子ども達がキャストオーディションに向けて最大の努力をして念願の主役を手に入れたとしても、その後の公演までの稽古期間中に本当にその子で良かったのか ? と疑いたくなる事例が沢山あるということです。

オーディションは良かったけど、一つの作品を引っ張っていけるだけの存在感や輝き、不屈の精神力など稽古をしてみなければ分からないことが次々と派生し、他方で地道にこつこつと積み上げていく子などの成長過程を見ていると、むしろその子の方が良かったのではないかと後悔することしばしばです。

日頃のレッスンに対する姿勢なども考慮し長年在籍している子にはチャンスを与えなければという私情も絡み、どこの「子どもミュージカル」においてもベストメンバーの公演にはなっていないのが現状です。しかし思い通りの役につけなくて退団する子は言語道断、じっと我慢している子の姿にこそ人間性の素晴らしさを感じてしまいます。
「大きな夢」はミュージカルを通しての人間形成にあることを思い起こさせられます。




2014年8月17日日曜日

2014 劇団通信8月号

私は先月の7月2日で72歳になりました。
7月中は各地の子どもミュージカルへ出向くたびに日にちにズレがあっても「ハッピーバースデイ」をみんなで歌ってくれました。可愛い孫達に囲まれたおじいちゃんは幸せ一杯 !  まだまだくたばらないで元気に頑張っていかなければという気持ちになります。今のところ私は特に健康を害している訳でもなく日々楽しく生きてはおりますが、健康管理の面で一番疎かになっている運動不足が気になっています。

先日慶応大学医学部眼科教授の坪田一男先生から最新刊「アンチエイジング・バトル 最終決着」という凄いタイトルのご著書をいただきました。先生特有の医学的にも分かり易く楽しい語り口で「老化」についてお書きになっています。いつも先生にお会いするたびに身体を動かすことが老化対策には一番だと聞いていますが、日頃の運動不足、分かっているけど実行できていないもどかしさを感じています。

20代から30代にかけてはよく身体を動かしていました。今のようにスポーツジムが盛んでなかった頃山手線の新大久保にある「スポーツセンター」へ毎日のように通って走ったり泳いだりしていました。胸板を厚くするためにベンチプレスをしつこくやり足腰のためにスクワットで鍛えていました。しかし筋肉はやらないとすぐに衰え今では見る影もありません。たまに挑戦しても若い頃の半分も持ち上がらない。ああ、歳をとるということはこういうことなのかと単純に納得してしまいます。

車での移動がほとんどの毎日、だからこそ坪田先生の本を読んでその気になりますが、又々三日坊主 ! でも三日坊主を継続させようと変な理屈で自分を説得。そんなことを繰り返しながら坪田先生のモットーである「ごきげん」で生きていこうと思っています。

2014年7月3日木曜日

2014 劇団通信7月号

5月の中旬横浜港を出港した「ダイヤモンド・プリンセス」というイギリスの豪華客船で10日間のクルーズを楽しんできました。と言っても遊びではなく日本人相手にレクチャーを3講座するという仕事絡みでしたが、それも3日間だけで終わり後は一般のお客様同様自由にのんびりと快適な船旅を満喫してきました。

15年前にも一度「にっぽん丸」の世界一周クルージングに3週間乗船し、イタリアからフランス、スペイン、アフリカ、ペルー、ブラジルまで回って来たことがありましたが、今回は船の大きさが5倍近くもあり乗船客2,600人、船の従業員1,000人、15階建てのビルが船になったような桁外れの規模でした。

タイタニックの現代版のような感じで中は一流ホテルそのもの、プールも大小いくつもあり、カジノやスポーツジム、大浴場、800人収容の大ホールや大小の映画鑑賞施設、レストランも9ヶ所、バーやラウンジもいたるところにあり、しかも一旦乗船したら食事は勿論、ケーキやアイスクリーム、フルーツなどいつでも自由に食放題 ! 若かったら貪欲にむしゃぶりついただろうに年令と共に食欲の減退、勿体ないと思いながらも控え目に食べ、雰囲気だけを充分に楽しんできました。

そして昼間はスポーツジムで汗を流し、海を眺めながら本を読み、夜はデッキチェアーに寝そべって映画を観、ショータイムで歌や踊り、マジックショーを楽しんだり、この上ないゆったとりした休息のひとときを過ごすことができました。

思いがけない神様からのご褒美は私に様々な内面的な変化をもたらし、劇団発展に益々意欲的に取り組む力強いパワーを与えてくれたように思います。

2014年6月1日日曜日

2014 劇団通信6月号

挨拶するということについて考えてみたいと思います。
朝起きて「 おはよう ! 」と元気よくあいさつするのは当たり前のように思いますが、劇団の子ども達を見ているとあいさつすることが習慣づけられていないような気がしてなりません。朝目覚めて眠い目をこすりながらでも家族と顔を合わせた時に元気に大きな声で「おはよう!」と言っているのか、その子のお父さんやお母さんがお互いにさわやかに朝の挨拶を交わしているのか、子ども達は常に親の言動を見ながら育っていることを考えると「挨拶する」という習慣が子どもの成長において如何に大切であるかということを知らなければなりません。

夫婦でも新婚間もない時は楽しく挨拶し合っていても、居るのが当たり前のような日常になってくるといつの間にか疎かになり、特に朝の慌ただしさの中では挨拶どころではなくなってしまいます。又夫が仕事に出かける時笑顔で「いってらっしゃい!」と送り出し、帰って来た時は「お帰りなさい」と抱きつくような愛の表現をしているか、年数が経つにつれてその割合は極端に減少していきます。

犬ならいつでも主人が帰って来たとき尻尾を振って全身で喜びを表します。妻が犬のように歓迎してくれたら夫のやる気も倍増するかもしれませんが、共働きが当たり前のようになっている昨今では妻だけが尻尾を振る必要もありません。しかしお互いに愛のこもった言葉で挨拶を交わすことは家庭円満の秘訣であり、子ども達の成長にも計り知れない恩恵をもたらしてくれると思います。  

最近劇団で挨拶が出来ない子ども達が多いことを感じていますが、レッスンの始まりと終わりに形式的に挨拶をするだけでなく、人と出会った時に素直に挨拶が出来るような人間になってほしいと思います。

2014年5月7日水曜日

2014 劇団通信5月号

歳を重ねていくと時々自分が生きていることがとても不思議に思われて、一体人間は何のために生まれてきたのだろうと、迫りくる旅立ちに心を向けざるを得ない年令になるといろいろ考えさせられます。

この世に生を受ける以前は何にもなかったのか、死んでしまえば肉体は無くなるが魂は残る……? 肉体が無くなれば全て終わりではないか ! など、若い時からいろんな書物を読みあさってはいたものの、いざ自分のことに置き換えてみると難しい理論など必要ではないというところに落ち着きます。  

人間誰しも生まれて、そして必ず死んでいきます。そんな当たり前のことを考えると毎日の生き方が如何に大切であるかが分かってきます。人にはそれぞれ向上心がありもっと良くなりたいと努力していきます。夢を描きます。
でも夢の到達点は生きている時間によって変化していきます。

私のような70歳を越していてもまだ夢を描いています。
しかしそれは20代や30代の夢とは大きく異なり、自分が生きている時に実現しなくても後世に引き継がれることを願っている夢です。もう、そこには私利私欲など関係なく、自分が立ち上げた劇団がもっと広く社会からも望まれ必要とされる劇団にならなければという願いです。  

毎日の生き方が如何に大切であるかという前文に戻ります。
生きているということは自分にとって楽しいものでなければなりません。
しかし生きている限りあらゆる人間関係や対立に悩まされ楽しいものとはほど遠い生き方をしている人が何と多いことでしょう。
悩んだりくよくよして問題が改善されればいいのですが逆です。そこからは何も生まれません。毎日が苦しみで憂鬱であり決して楽しくはありません。そのままで一生を終えるなんて最悪で人生を浪費している勿体ない生き方です。

しかし自分の心や見方を変えるだけでたちまち楽しく明るいものにすることができます。
本当です ! そうすれば万事が好転する方向へ人生が軌道修正されていきます。  
少なくとも私は自分が楽しいと思う生き方を貫こうと思っています。
が、回りには大変な迷惑をかけていますよね。

2014年4月14日月曜日

2014 劇団通信4月号

三人の若い女性を主役にした「ダンスの朝」を九年振りに上演しました。一流のダンサーになることを夢見て競い合っている三人ですが、一人は子どもを孕んだためにダンスを中断し夢が遠のいていくと嘆きます。他の二人の仲間はダンスのことよりも生まれてくる子どものことを第一に考えるべきだと説得します。どうせ高いところを目指したって無理だからダンスは趣味程度に楽しくやればいいじゃないかと諭します。

ダンスに限らずスポーツやの仕事のことにしても妊娠した途端女性は大きな節目に立たされます。育児のことを考えると現役をそのまま続けるのは無理だと判断しがちですが、それでもオリンピックに出てメダルを取ったママさんもいるくらいですから、あくまでも本人次第ということになるのでしょうか。

「ダンスの朝」の子どもが出来た女性は一流を目指すことよりも子どもに夢を託す気持ちへと次第に変化していきます。それが母性愛だと劇中で言っていますが、我が劇団のお母さん達の中にも自分の夢を子どもに託して劇団に送り込んでくる人もいるようです。そして子どもが楽しく生き生きと取り組んでいるのを見て自分もやってみたいと若い頃の溌剌とした気持ちが蘇ってくるのでしょう。「まだ私にだってやれるわ!」と新たな意欲が出てきて子どもと同じような道にチャレンジして舞台に立っている人もいます。

そのように子育てが一段落ついたところで新たな楽しい人生が待っていることを考え、自分が本当に好きなことを今出来るところから少しずつやってみては如何でしょうか。

2014年3月14日金曜日

2014 劇団通信3月号

責任をとるということは当事者の人間性が反映されるもので、どんなに些細なことであろうと自分の言動にしっかりと責任を持つことは人間として当然のことなのです。しかし言い逃れしたり他人に転嫁したりする人が実に多い今の世の中、様々な事件や失態がメディアで報道される度に又か又かと嘆かずにはいられません。

江戸時代の武士の世界では責任をとるということは腹を切ることにも繋がっていました。命を張って自分の言ったことを守る姿勢は現代社会ではほとんど見かけなくなってしまったようですが、腹を切ってまで責任を全うする必要はないにしても、そのようなしっかりとした精神で物事の判断を下し責任を持つ人間が少なくなっているのは事実です。昨今の企業のトップの形だけのお詫び会見や政治家のように言葉を巧みに弄して言い逃れする態度には保身が見え隠れして本気で責任を取ろうという気構えが見えません。本当に国家や企業のことを思って自分の身はどうなってもいいという強い意志で貫いていく真のリーダーはいないのでしょうか。

最近は犯罪者でさえ人権で擁護され、肉体的な痛みを伴う刑罰がないためなのか犯罪が後を絶たず、昔のような拷問でもあればその痛さを怖れて減るのではないかと思ったりもします。役職を降りれば許される傾向の「責任をとる」というのも同様で、切腹までしないまでも責任の取り方をもっと厳しく見つめていけば安易にテレビカメラの前で一斉に頭を下げるみっともない謝罪会見も減るのではないでしょうか。

2014年2月1日土曜日

2014劇団通信 1月号

「緑の村の物語」を五年ぶりに主演しました。
過去三回やってきたものの五年の隔たりと自らの年齢を考えて、
本番に近づくほどプレッシャーがのしかかってきました。
果たして台詞がスムーズに出てくるだろうか、
一曲しかないソロの歌でも歌詞がきちんと出てくるのか、
若い時には考えもしなかった内面の葛藤が、年を重ねるに従って強くなってきました。
セリフというのは、一旦身体の中に入ってしまうと自然と口から出てくるものなのです。そのために何回も何回も稽古を繰り返すのですが、一旦身体に入ったものを信じてやればいいものを、途中で出てこなくなったらどうしようという、取り越し苦労的なものが時たま出てくるのです。

絶えず舞台に立っていればそんなことはありませんが、たまにやるから余分なプレッシャーとなって襲ってくるのです。といっても昨年は何回か舞台に立つことがあり、プレッシャーの度合いも少し薄まってきました。四月の一人芝居では、三日間で九ステージをやったことが自信にも繋がりました。役者は常にやっていなければ存在価値はなく、続けていく中でしか成長しないものだと思っています。私のように一度役者は辞めたと宣言?した者が、安易に舞台に立ってはいけないのです。やるなら絶えずやっていく。多くの役者が、本業よりもアルバイトに多くの時間を割いているのと同様、自らの存在理由を何処に置くかいつも考えさせられます。

しかし我が劇団は役者もやれば裏方や制作や事務作業もやるマルチ人間的な集団でもあるので、余計なことを考えず精一杯やればいいと、自身に言い聞かせています。