2015年6月20日土曜日

2015 劇団通信6月号

私の住んでいる稲城市向陽台のすぐ近くに総合運動場がありますが、その裏側に森林浴が出来そうな木々に包まれたウォーキングコースがあります。私の散歩コースになっていますが30分ほど歩いた所に167段の石段があります。その石段の下で軽くストレッチをやって上を見上げ、よし、一気にいこうと気を引き締めて一段一段踏みしめるように登っていきます。


たかが167段じゃないかと思われても私にとっては必死です。毎回登る度に速度や呼吸の乱れに差があって自分の体力が維持できているかどうかのバロメーターにもなっています。毎日やっていればある程度抵抗も少なく登り詰めることができますが、しばらく日にちが空いたりすると息切れがひどくなりぜいぜい言いながらやっとの思いで辿り着くことになります。


何年か前までは難なく登っていたのにと取り戻す事の出来ない体力の衰えを感じながらも挑戦する意欲は失わないように頑張っています。しかし体力の衰えは身体の固さによっても思い知らされ、柔軟やストレッチは日課のように毎日やっていれば歳をとっても固くなる事はないと分かっていても、なかなか続けられないもどかしさが募ります。これが年老いていくことなのか、いや、出来ることをやらないで唯さぼって横着しているだけではないか、自問を繰り返しながら少しでも向上しようと細い身体に鞭打っています。


しかし私のことよりも最近子ども達でもひどく身体の固い子がいたのを見て驚きました。私よりも固い !  ミュージカルの劇団でしかも何年も在籍していて、身体が柔らかくないと踊れないことくらい当然分かっている筈です。我が身のことはさておきとても情けない気持ちになりました。







2015 劇団通信5月号

最近ある「子どもミュージカル」の公演で誰にもはっきり分かるような音響のミスがありました。生の舞台では万全を尽くしていても予期しないアクシデントに見舞われることが多々ありますが、あってはならないミスであっても起きてしまった事に対してはどうする事もできません。大きな興行などではミスをすれば賠償責任問題にまで発展しかねませんが、責任をとったからといって元の状態に戻す事はできません。ライブには何が起きるか分からないスリルと不安が伴いますが、それが又人々を引き付ける大きな魅力でもあります。


例えばスタッフが細心の注意を払っていても舞台裏で誰かが何かにつまずいて大きな音を出してしまったり、役者の衣裳が小道具に引っかかって、その落ちた音が客席に響いたり小さなミスは限りなくあります。又役者が奈落に転落したり、大道具が上演中に倒れてケガをしたり、ミスというよりは重大な事故に繋がっている例もたくさんあります。勿論あってはならないことではありますが、人の手によって動いている以上ミスを完全になくすのは不可能に近いことです。


だからこそリハーサルをしっかりやって万全を期さなければなりませんが、「子どもミュージカル」の場合実際に舞台で稽古出来るのはゲネプロの1回だけです。出演者や劇団のスタッフは稽古で全体の流れをしっかり把握できていますが、外部のスタッフさんはせいぜい1〜2回の稽古に付き合ってもらうだけです。出来るなら毎回の稽古に来て欲しいと思いますが、経済の問題があるだけになかなか難しいところです。
ミスを容認する訳ではありませんが、当事者にはその都度寛容に対応しています。