2015年9月30日水曜日

2015 劇団通信10月号

新潮文庫の「恋愛偏愛美術館」(西岡文彦著)を読んでいます。名画に秘められた芸術家の様々なドラマが描かれており、ピカソ、モディリアーニ、ドガ、マネとモネ、ルノワール、ムンクなど改めて作品をじっくり鑑賞してみたくなるほどです。

巻頭に「美の本質は恋愛にあるという。鳥の羽根が美しいのは異性を魅惑するためであり、花が美しいのも蝶を惹きつけ花粉を運んでもらうためである。美しくあること、それは生命が受け継がれていくために欠かすことの出来ないエネルギーの結晶にほかならない」と英国ヴィクトリア王室博物館館長マーク・ジョーンズの言葉を引用し、人は生きていくためには美を求めないわけにはいかない。人が何かを美しいと思うのは、その美しいと思われるもののなかに、自分自身が願ってやまないもの、求めてやまないものが結晶しているからなのである。と解説しています。

この本の最初に登場するピカソは天才であるだけに名声とは裏腹な非人間的なおぞましさがあり、だからあのような絵が描けるのかと納得してしまいます。ピカソほど名声と経済的な成功に恵まれた画家は存在しませんが、ミケランジェロやレオナルド・ダヴィンチはその業績から得た報酬は二束三文だというし、レンブラントに至っては破産した後、孤独な晩年を過ごし、ゴッホは数千点の作品を描きながら生前に売れた絵はわずか1枚だけという不遇の中で自殺を遂げています。芸術家の妥協しない生きざまから生まれる作品ひとつひとつに底知れぬドラマが潜んでいて、それが私たちに感動を与えていることを考えると、偉大な芸術家の足跡を辿ることによって自らの甘い姿勢が浮き彫りになり、厳しく叱咤されているようで、この書に感謝せずにはいられない気持ちになっています。









2015年9月16日水曜日

2015 劇団通信9月号

いくつになっても勉強しなければならないことが尽きません。
尽きないどころか益々旺盛になり制限時間が迫りつつある中で焦りのようなものが日々募っていきます。一人の人間が一生のうちに学べるのはたかが知れています。自分が歩んで来た芝居の道ですら尽きることのない未知の領域が限りなく広がっていくように思え、いわんやジャンルの違う世界に至っては宇宙に飛び出していくような計り知れない広がりを感じてしまいます。

書店に並ぶ本を無作為に手に取って読んでもそこには必ず新しい発見があり、これまで知ることのなかった全く別の世界があったことに愕然とし打ちのめされたり、勇気づけられたり、或は新しい恋人に出会ったような高揚感に浸って足取りが軽くなったりと不思議な感覚に捕われたりしています。

私は知識として学ぶことよりも現実には体験できないようなことを書物を通して感性で受け止め、共感し心を揺さぶられるという読み方をしているつもりです。それでも若い時に勉強してこなかったツケが今頃になって頭をもたげ、読書していても知識の足りなさを思い知らされることが多々あります。

やはり勉強は頭の柔らかい若いうちにやっておかなければならないのです。頭も身体も心も柔軟性がある時に受け入れるようにしなければ身につかないことを若者に伝えたいと思っても、自身の若かった時のことを思い出すと年寄りの言うことに素直に耳をかさなかった生意気な青二才の姿が浮かんで来て何も言えなくなってしまいます。
それでも子ども達にだけは機会がある度に学ぶ事の大切さを自らの反省を吐露しながら話してもいます。