2016年5月6日金曜日

2016 劇団通信5月号

児童劇団「大きな夢」が他所の劇団や芸能プロダクションと大きく異なるところは、ミュージカルの創作活動を通して子ども達に内在する才能を見極め、一人一人に備わった適性能力を伸ばしていくところにあります。

子ども自身も、あるいは親御さんですら知らなかった隠れた才能が見つかることもあり、歌やダンス、演技力といった技術面のことだけでなく、創作活動に携わることによって学校では学べない様々な体験をしていきます。

先輩が後輩をいたわることによって思い遣りや優しさを育み、共にレッスンをすることでの協調性を養い、稽古での集中力がいかに大切かを自然に学んでいきます。又努力した成果を本番の舞台で発揮できる喜びや達成感を味わい、やれば出来るという自信にも繫がっていきます。

内気だった子どもが学校でリーダーシップを取るようになった例も少なくありません。しかし一方ではキャストオーディションで自分の希望する役に選ばれなかった悔しさを味わうことなどもあり、我慢することの厳しさや大切さを学びながら心豊かな人間に成長していきます。中には我慢出来ず簡単に退団していく子もいますが、目先の華やかさに憧れ、もっといい所で勝負したいと去っていくのでしょう。

小学生や中学生にとって「大きな夢」に代わるようなもっといい所はほとんどありません。
根本的に一つの所で続けていくことが人間形成にとってどれだけ必要であるか、特に小、中時代には学校の勉強も大切で、週1回の「子どもミュージカル」で楽しく活動出来るくらいの余裕の中で自身を磨いていって欲しいと思います。そのためにも「大きな夢」は子ども達にとって絶好の環境ではないでしょうか。





2016 劇団通信4月号

「鎌倉子どもミュージカル」の菊池銀河が、NHKのFMラジオドラマ「青春アドベンチャー・走れ、歌鉄 !」に主役で出演し2週間に渡って彼の声がラジオから流れていました。今でこそNHKのラジオドラマを聴く人はごく少数で、余程のマニアか関係者くらしか聴かないようになってしまいましたが、テレビが普及する以前のラジオドラマは国民的な娯楽番組として日常生活に欠かせない存在でもあったのです。

終戦直後の昭和20年代人々はラジオドラマにかじりつき、小学生だった私も「笛吹き童子」や「紅孔雀」など人気番組を聴いては一喜一憂していました。その頃「君の名は」というラジオドラマの放送時間になると銭湯が空になったという有名な話がありますが、当時は各家庭に風呂があるのは珍しく、銭湯に行くのが当たり前の時代でもあったので、夕方「君の名は」の放送時間になるとラジオを聴くために銭湯はがら空きになるという社会現象にまでなったのです。

そのような昭和30年代のラジオドラマ全盛期、NHK東京放送劇団にいた黒柳徹子さん等が出演していたNHKラジオの看板番組「一丁目一番地」に、今でもサザエさんの声をやっている加藤みどりさんと一緒に私も途中からレギュラー出演することになりました。以後1000本は下らない数のラジオドラマをやりましたが、それでも菊池銀河が主演した「青春アドベンチャー」という番組枠では私は一度も主役をやったことはありませんでした。

だから教え子の彼が堂々と主役を張ったことに対しての感慨も深く、それでいて自分がもうラジオドラマにおいては化石のような存在なってしまった不思議な感覚にもとらわれながら、父親が息子に追い越されたような幸せな心境になっていました。




2016 劇団通信3月号

東野圭吾の「手紙」が、高橋知伽江さんの脚本でミュージカルになって新国立劇場小劇場で上演されました。主人公の弟と刑務所にいる兄との手紙のやりとりがどのような形でミュージカルになるのか、原作からは想像もつかなかっただけに、とにかく観てみようと初日に出かけました。

受付あたりで偶然作者の高橋知伽江さんと出くわし、久々の再会に懐かしく立ち話をしました。「手紙」の脚本は10年越しで暖めていた企画だったらしく、その話を聞いて一層興味が湧いてきました。

会場に入ると普段私たちが使用している小劇場とは全く逆で、客席の入り口が舞台になっており、先ず入場した時から何かあるのかと思わせる雰囲気に驚かされました。開演すると最初は多少違和感を感じながらも次第に引き込まれ、さすがに考え抜かれ工夫された素晴らしい脚本、そしてテンポよく展開する舞台で達者な役者さんが思う存分歌う迫力に圧倒されてしまいました。

上出来、上質の舞台に客席の拍手が鳴り止まず、何度もカーテンコールを繰り返すほどでした。その舞台に「西船橋子どもミュージカル」にいた北川理恵が、主人公の相手役として大活躍していたのには驚きました。出演することは知っていたけどまさかと思う大役、これまでも出演したアニーやレミゼの舞台は何度か観ていますが、今回はいつもと違う感慨が心の底から湧き上がってきました。

「大きな夢」出身の子がこのような形でのし上がって来た喜び、諦めず続けている彼女の努力の成果がしっかり実を結んでいるのを見届け、いつもはほとんど楽屋まで行かない私も真っ先に駆けつけ奮闘を讃えてきました。これからも彼女のように「大きな夢」の出身者がどんどん活躍してくれることを祈らずにはいられません。





2016 劇団通信1.2月号


私は幼い頃から絵描きになることが用意されているような毎日でした。父が絵を描いていたので私も当然絵の道に進ませようという親の考えであったからです。

学校から帰ると油絵の道具一式とイーゼルにはキャンバスが置いてあって、「さあ描きなさい ! 」今でいうお絵描きの時間が待っていました。日曜日には「写生に行きなさい !」と自転車に道具一式を積んで湖畔や森林へ出かけて行きました。

私も絵が好きだったので、父の敷いたレールの上を何の抵抗もなく楽しく歩いていました。ところが小学5年生の時ラジオから流れて来たMHK放送児童劇団募集のアナウンスを聞いてから、私の人生は大きく変わりました。

以来、ラジオドラマの子役からずっと曲がりなりにも声優から俳優の道へと進み、50歳で劇団四季を辞めるまで役者稼業一筋で生きてきました。そして児童劇団「大きな夢」を立ち上げたのが51歳の時、それからは子ども達と一緒にミュージカルの舞台を創ることが私の本業となってしまいました。人生はちょっとしたきっかけで大きく変わるものです。いくら夢を描いて進んでいても、全く別の人生が用意されていることもあります。

小説家の村上春樹さんは30歳 になるまでは作家になるなんて思ってもいなかったそうです。浅田次郎さんも小説家になる前は自衛隊に入隊していたというのです。世界的な企業マクドナルドの創業者レイ・クロック氏は52歳で店を立ち上げるまでは只のセールスマンだったというのです。予想もしなかった人生、どこでどんな運命的な出会いやきっかけが待ち受けているか誰にも分かりません。
それだけに生きていることは楽しく素晴らしいものだと思います。